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アナログとデジタルのあいだ

丁寧な生活を優先し、てまひまかけて仕事に向きあう人たち。オフラインを充実させながら、実用的にオンラインを取り入れてるリアルな姿とこだわりを学ぶ。

映画を観るのはストリーミング配信? 映画館? 移動映画館「キノ・イグルー」が目指すのは映画体験

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様々な場所で映画を上映する移動映画館「キノ・イグルー」は、映画好きの間ではよく知られた存在だ。上野の東京国立博物館で一作品を6,500人で観るものから、お正月にお饅頭屋さんでお饅頭食べ放題で行う「初笑い上映会」といったものまで、規模も内容も色々。共通するのは、参加した人の満足度の高さだ。その評判はよく“新しい映画体験”という言葉で表される。そんなイベントの傍ら、キノ・イグルーのウェブサイトやSNSでは濃い映画情報が常に更新され、映画ファンならずともチェックしたくなる内容だ。コロナ禍のおこもり需要では映画のストリーミング配信が定着し、かたや映画館の価値も見直されつつある。そんな時代に私たちの心に響くのが、「映画は上映するだけが映画じゃない」というキノ・イグルー代表のひとり有坂塁氏の言葉だ。映画を軸にした有坂氏の暮らしから、これからの映画とのより良い付き合い方を考えてみたい。

SNSで誰かの暮らしに「映画スイッチ」を押す

今年で立ち上げから19年目を迎えた、キノ・イグルー。彼らが作るのは、その日そこでしか体験できない新しい映画体験だ。『グーニーズ』のようなハリウッド映画を流すこともあれば、小津安二郎やチャップリンのような名作の日もあり、常に作品は場所とのフィーリングによって選んでいる。そこに通底するのは、有坂氏のこんな想いだ。

 

「映画はどれも素晴らしいものだと思っているので、嫌いな映画というのはありません。僕は映画に入り込んで作品の良いところを探す楽しみ方をするので、たとえ世間的には愚作だとしても、何かしら良い刺激やポジティブなものを得られる。それがやっぱり、総合芸術である映画の素晴らしいところだと思います」

 

キノ・イグルーのイベントでは、映画前後に流すBGMや飲食も特徴的だ。それらが全て組み合わさることで、一度限りの特別感になっている。

 

「キノ・イグルーが提供するのは映画鑑賞ではなく映画体験です。僕は上映前後に司会として話すのですが、上映前は誰とも目が合わないのに、上映後はみんなと目が合うくらいに、会場の空気が本当に一つになっていて。一期一会で一箇所に集まり、誰かの物語を追体験し、笑って涙して、最後にみんなで拍手すると、本当にもう言葉にできない感情がこみ上げてくる。それがやっぱり映画の力であり、魔法だなと思います」

そうした“イベント屋”である一方で、実生活はイベントをやっていない時間の方が長い。そんななか続けているのが、オンライン上の発信だと言う。朝はまず、目覚めた瞬間に思いついた映画を紹介する「ねおきシネマ」をインスタグラムで投稿。投稿は既に1,800回(約5年)超。お次はキノ・イグルーのウェブサイト上にYouTubeやミュージックビデオなどから見つけた「今日の気になる動画」をアップ。こちらも7年近く続いているご長寿企画だ。その後日中は、情報や発見などを自由にインスタグラムでシェアし、夜はその日映画館で観た作品の感想をインスタグラムで投稿。SNSを通じて良いものをシェアできる、人と繋がれることはもちろんだが、こんな考えもあると有坂氏。

「映画って気にしていないと何年も観ていない、ということもありますよね。それを僕は“映画スイッチが入っていない”状態と呼んでいて。でも、映画の感想やエピソードを聴くと無性に映画が観たくなることもある。これは“映画スイッチが入った”状態。今日はどんな映画がアップされているかな。映画観たくなってきたな。って、僕の投稿を通じて、誰かの日常にそんな時間が生まれていたら、と思います」

「映画ノート」で肩書きがとれる

オンラインで映画や映画情報にアクセスでき、映画好きとも繋がれる今。そんな時代だからこそ、有坂氏が大事にしているライフワークがある。会った人に好きな映画を書いてもらう「映画ノート」だ。なんと25年以上続けていると言う。ノートは9冊目に突入し、4,000人以上の好きな映画を集めた。これをパラパラ眺めるのがただただ幸せという、有坂氏にとって宝物のような存在だ。趣味で始めたノートだが、仕事の上でも役立っていると言う。キノ・イグルーはもともと営業活動をしておらず、全てクライアントの自発的な思いが出発点になっている。イベントを作る上で最も大事にしているのが、担当者とコミュニケーションをじっくりとること。

「僕は上映するだけが映画じゃないと思っていて。映画にはコミュニケーションとしての可能性がまだまだ無限にあるなと、このノートをやっていると本当によく感じます。例えば大企業の巨大な会議室に通され、緊張で張り詰めた空気の中『面白いイベント考えてください』と言われても……ということがあります。本当に良いアイデアは、楽しいコミュニケーションからしか生まれません。そこで、このノートに好きな映画を書いてください、とお願いすると、『僕トム・クルーズなんですけど大丈夫ですか!?』とか、率直な声が色々上がって。好きな映画の話をするだけで、上司と部下の距離感が一気に近くなったり、肩書きが取れていくんです」

 

イベント当日にもこのコミュニケーションが行われる。大規模なものになると、警備員やアルバイトなどスタッフは増え、当日初対面の人が大半だが、彼らにもミーティングに参加してもらい、この質問をぶつけるのだ。たった数分のやり取りにすぎないが、これをするとしないのではイベントの一体感が大きく変わると言う。

“その日暮らし”にはルーティーンが必要

イベントのない日は映画館で1本映画を観るのが有坂氏の日課。それ以外の時間の使い道は自由だが、朝のスケジュールだけはきっちり決まっているという。

 

「インスタグラムで『ねおきシネマ』を投稿した後には、近所の井の頭公園に走りに行きます。30分走り、残り30分はストレッチなどをしてぼうっと過ごす。10年間は続いています。帰宅したらウェブサイトの動画情報の更新。僕のようにフリーで仕事している人間にとって、日々心地よく生活するためにルーティンは必要だと思います。気持ちが切り替えやすくなります」

 

また、ランニング時にはスマホを携帯しないことも“マイルール”にしている。実際、スマホは実はポケットに入っているだけで潜在意識に様々な影響を与えることが近年の研究で明らかになっている。見ない、触れないだけではなく、物理的に持たないことが重要なのだ。オンラインを活用する一方で、オンラインから離れた時間を意図的に作る。それを日々の時間割に当てはめて行えば習慣化し、よりメリハリは生まれやすくなる。スマホに依存しがちな人なら一度試したい方法だ。

映画館の価値はますます大きく、多様化する

コロナ禍では、人と映画の付き合い方も大きく変化した。NetflixやAmazonプライムなどのストリーミング配信のお陰で、有坂氏曰く「映画は日常化した」。自宅にいながらにして、また場所を問わず手の平の中で映画が楽しめるようになった。また、「2000年代の初頭と比べると、決定的に街中で映画の会話が増えた」と、有坂氏は喜びの表情。キノ・イグルーを始める際に抱いていた「映画の楽しみ方の選択肢がもっと増えたら」という思いは現実になっている。

一方、映画館は客足が遠のき、人数規制がかかるなど、コロナ禍で苦戦を強いられた。そんな中で、映画館の価値は再認識されている。そもそも映画館とは映画作品をベストな環境で観るため存在する空間と思えば、いかに贅沢な場所かがわかる。また同じ映画を観るのでも、映画館のスクリーンでは目線は上を向くのもポイントだと有坂氏。ちなみにスマホは下、テレビはアイラインだ。

 

「対象物が上にあると、人は無意識に崇めてしまうところがあるんです。教会の構造などがまさにそうで。映画館のスクリーンで観ると、集中度が高まり、ストーリーに没入しやすく、また“偉大なものを見ている”という感情も無意識に加わる」

日頃は配信で満足しているが、やはり映画館で観るとその良さを再確認することがある。それはやはり、映画館という場所の力によるのだ。加えて、「携帯の電源を切れる場所としての価値」も生まれているのでは、と有坂氏は指摘する。

 

「デジタルネイティブは繋がっていることが当たり前で、日々、無自覚的にストレスを与えられています。“繋がらない”環境が許されないような時代のなかで、映画館にいる時間は電源を切れる都合の良い理由になる。映画館がそうした駆け込み寺のような需要も出てくるのではないかと思いますね」

 

とはいえ、ストリーミング配信も充実し、特にアメリカでは新作の公開日時が、映画館とストリーミング配信で同時ということも増えてきた。配信で満足する人も当然増えている。「僕たちは、劇場で映画を観ることの本質をもっと考えなければならない時期にきています」と有坂氏はいうが、毎日映画館へ行く彼でもその問いへの答えはまだ見いだせていない。オンラインによりアクセスが多様化した映画の世界。その変化によって、映画館という豊かな文化がなくなることがないように、個々がそれぞれの価値を見定めていく必要がある。

有坂 塁

Rui Arisaka

2003年に移動映画館「キノ・イグルー」を渡辺順也氏とともにスタート。東京を中心に、全国各地のカフェや雑貨店、美術館など、あらゆる場所で映画上映イベントを開催。その場所が持つ空気感を大事にし、唯一無二のシネマ体験を提供している。映画カウンセリング「あなたのために映画をえらびます」、インスタグラムで日々発信する「ねおきシネマ」など、枠にとらわれず自由な発想で映画の楽しさを伝えつづけている。

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取材:池尾優

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