ENILNO いろんなオンラインの向こう側

メニュー サイト内検索
閉じる

ポストコロナ社会において「オンライン」は必要不可欠なものとなった。
これからどのようにオンラインと向き合うのか、各企業や団体の取り入れ方を学ぶ。

ベテランの書体デザイナーの執念が生んだ「UDデジタル教科書体」。その開発秘話とは

世の中には文字が読みにくく、それが学習の妨げになっている生徒たちがいる。視力に障害がある「ロービジョン」に加え、文字の読み書きに著しい困難がある「ディスレクシア」と呼ばれる障害を抱えているケースだ。そんな生徒たちにも読みやすい書体として2016年にリリースされたのが「UDデジタル教科書体」。それはベテランの書体デザイナーが執念の末に完成させたものだった。この「UDデジタル教科書体」の開発を手掛けた書体デザイナー・高田裕美氏が、このたび上梓したのが書籍『奇跡のフォント』だ。知られざる「書体」の奥深い世界を綴った内容を引用しつつ、高田氏にもその裏側を聞いた。

デザインにまつわる仕事をしていなければ、「書体」に思いをめぐらすことは少ないかもしれない。ビジネスパーソンであれば、企画書やレポートを制作するとき、なんとなく雰囲気に合った書体を選ぶことがあるぐらいだろうか。

 

ただし世の中にはスタイリッシュな書体、インパクトのある書体、柔らかい印象の書体など、実に多くの書体が存在する。書体によって受ける印象はかなり違ってくる。

MS明朝とBIZ UD明朝の比較

 

さらにはそれぞれの書体ごと、読みやすさも異なる。特に視力に問題があったり、またディスレクシアと呼ばれる文字がうまく読めない障害を抱える生徒にとっては、書体が読みにくいことで学習が進まず、将来の可能性が閉ざされることすらある。

 

書籍『奇跡のフォント』では、こうした困難を抱える生徒にも読みやすい書体として開発された「UDデジタル教科書体」の開発秘話がつづられている。UDデジタル教科書体のUDとはすなわちユニバーサルデザイン、そして「教科書体」と名がつく通り、初めて文字を学ぶ子どもたちの学習を助ける手書きの形状で、教科書に適した書体として開発された。

 

本書には書体デザイナーである高田氏の完成に至るまでの執念ともいえる情熱が込められている。単に開発の行程を知るだけでなく、書体にまつわる知られざるストーリーでもあり、またビジネスのサクセスストーリーとしても読めて興味深い。

ミクロの世界への好奇心が刺激される「フォント沼」

そもそも高田氏の肩書きである「書体デザイナー」という職業自体、多くの人にあまりなじみがないだろう。

 

「もともと美術系の高校にいて、そのまま美術大学に進学しました。最初は絵本の仕事をしたいなと思っていましたが、美大には絵がうまい人がたくさんいる。もっと人と違うことで自分が興味あることを探っていくうちに、文字に出会ったんです。文字や書体をデザインするおもしろさに惹かれ、そのまま大学に残って研究を始めました」(高田裕美氏、以下同)。

書籍『奇跡のフォント』には、日頃何気なく使っている書体の数々が、膨大な時間と労力をかけて生み出される舞台裏が描かれている。そもそも書体デザインには、ミクロの世界への好奇心、かなり細かい作業力が要求される。開発に当たっては、例えば「木」という漢字は横画・縦画・左払い・右払いというエレメントから成り立っている。ひとつずつのエレメントのデザインのみならず、それらが組み合わされた時の全体のバランスについて考察が続く。「もっと角度をつけたほうがいい」等の微調整が出た場合、そのパーツを含む漢字すべてに調整が必要になり、膨大な作業に及ぶ。図の「令」で例えると、「鈴」「領」といった漢字すべてに変更が加わる。もともと日本語は文字数が多いのもあり、書体ひとつを完成させるのには、複数人が年単位で関わる必要がある。書体の開発とは、実に長期にわたるプロジェクトなのだ。

字形ルールの統一

高田氏は印刷物が写植で作られてきた時代から書体デザインに携わってきた。その後ワープロの普及、そしてパソコンの普及というデジタル時代の波に乗って32年間ものキャリアを重ねている。始めは原字を一文字ずつ手で描いていたものが、時代とともに点の集合体であるビットマップで描かれるようになり、そしてさらに滑らかな輪郭によって描かれるアウトラインフォントにとって代わっていった。本書はこうした「書体の歴史」を詳細に知れる、良質なドキュメンタリーでもある。

 

「ここまでずっと書体デザインを続けてきたのは、やっぱりおもしろいから。例えば同じ『明朝体』といっても、縦組用か横組用かで形状は変わってくるし、漢字圏の日本と中国、そして台湾などでも微妙に字形が違う。そういう知らなかったことを調べて知りながら、考えながらデザインしていく作業がおもしろいんです」。こうして高田氏はずぶずぶと「フォント沼」にはまっていったと語る。

 

さらにはクライアントに求められて作成する書体もあり、成果として求められたフォントの提供を喜んでもらえることも仕事の原動力になったという。「例えば食品やペットボトルのパッケージや、電子機器の表示など、限られたスペースに文字をたくさん入れなければならないケースもあります。さまざまな条件があるなかで、『こういう書体はどうですか』と提案するおもしろさがあります」

文字におけるユニバーサルデザインの重要性

こうした提案のひとつが、次なる提案を生むこともある。本書のメインテーマである書体「UDデジタル教科書体」も同様だ。

 

この書体が生まれるきっかけのひとつが、電車の車内で駅名などを映し出す、デジタル表示パネルに使う書体の開発だった。駅や電車という誰もが利用する場で、高齢者やパネルから離れた人でも読みやすい書体が求められたのだ。それはUD=ユニバーサルデザインを意識した書体、「UDフォント」として開発が進められた。90年代後半から日本の高齢化が急速に進み、さまざまな分野でユニバーサルデザインの認知が進んできた時代背景もあった。

 

「まず高齢の方が読みにくくなる文字を洗い出しました。高齢者は細い線が見えにくくなったり、「S」と「8」と「3」など似た形状の文字だったり、『ば』と『ぱ』など、濁点か半濁点かが判別しにくくなることが多くあります」

ただし当初は「きっと読みにくいだろう」という推測で作業していたことも多かった。胸を張って「読みやすい書体」とうたうには、エビデンスが必要だ。高田氏は大学教授の協力のもと、当事者から話を聞き、シミュレーターを使って、実際に弱視の人がどうぼやけて見えているかを体験し、大学教授に実証検証もしてもらい、その結果を受けて文字形状を調整していった。図がシミュレーションによるデザイン変更の軌跡だ。そうして本当に読みやすい書体として完成したのが「TBUD書体シリーズ」全15書体で、実に3年の月日をかけてリリースされた。

シミュレーションによるデザイン変更

TBUDフォントの開発をきっかけに、高田氏は次なる目標としてロービジョンの子どものための書体を開発しようと思ったという。ユニバーサルデザインでありつつ、教育現場で使いやすい書体の開発を志したのだ。

 

そんな野望を抱いた矢先、当時高田氏が在籍していた会社「タイプバンク」は、国内フォントメーカー最大手の株式会社モリサワに売却される。その組織改編により開発はいったんストップする事態になった。組織に属するビジネスパーソンなら多くの人が経験しているであろう「組織上の理由」だ。さらにこの「UDデジタル教科書体」は、ターゲットが限定的な書体であったことも、組織から難色が示された理由のひとつだという。

学習障害の生徒たちが文字に感じるストレスとは

そこから「UDデジタル教科書体」が実際にリリースされるまでの軌跡は、高田氏の情熱なくしては語れない。一時期は仕事を辞めるほどまでに追い詰められた高田氏だが、起死回生をはかって、とある行動に出る。本書ではそうしたビジネスパーソンの交渉術も読みどころのひとつだ。

 

こうして一時頓挫していた「UDデジタル教科書体」の開発だが、最終的にリリースされるに至った背景には、時代の後押しもあった。もともとはロービジョン、すなわち視力に問題がある生徒たちに向けた書体だったが、大学教授と開発を進めていくうえで、ディスレクシアの生徒にも助けになるのではと、さらに対象範囲が広がったのだ。ディスレクシアとは学習障害のひとつで、発達性読み書き障害ともいわれる。視覚や聴覚、そして知的にも問題はないが、文字の読み書きに著しい困難を抱える障害だ。

 

「ちょうどそのころ、発達障害や学習障害に関する研究が進み、教育の世界でも認知され始めました。発達障害の生徒の中には、例えば明朝体の漢字の『はね』や『はらい』は先が鋭くとがっていますが、それが自分に迫ってくるように見えてストレスを感じることもあるのです」

教科書体の問題点(左図)/明朝体の問題点(右図)

ICT教育の普及も追い風になった。生徒一人に一台のタブレットが配布される時代がやってきて、「タブレットでも見やすい書体を」という教育界からの要望が高まってきたのだ。そして「UDデジタル教科書体」は2016年に無事にリリースされた。構想からは実に8年の歳月を経ていたという。

 

「UDデジタル教科書体」の強みは、大学教授による実証実験などを経て、実際にロービジョンやディスレクシアの生徒たちが読みやすいというエビデンスを得ていることだ。そうした背景もあり、この書体は徐々に教科書などへの採用が増えている。さらには2017年にWindows10以降のOSに標準搭載され、いまや全世界の人が使える書体となった。

 

「UDデジタル教科書体はユニバーサルデザイン(UD)の書体ではありますが、全員が読みやすいというわけではありません。個人の特性や好みによって、別の書体がいいということもありえます。また単にUDデジタル教科書体を使うだけでなく、文字のサイズや行間など使い方も重要です。そのように人それぞれの特性や目的に合わせて書体選択をし、文字組みを考慮してうまく活用してほしいです。そして『UDデジタル教科書体』を教材などで使ってくださる先生が増えてきていることは、読み書きに困っている子どもたちに届くことになるので、とてもうれしいです。この書体によって、少しでも書体を意識してくれる先生や学生が増えるといいなと思っています」

高田裕美

Yumi Takata

書体デザイナー

女子美術短期大学グラフィックデザイン科卒業後、ビットマップフォントの草分けである林隆男氏が創立したタイプバンク社でタイプデザイナーとして32年間勤務。「TBUD書体シリーズ」「UDデジタル教科書体」のチーフデザイナーとして企画・制作に従事。2017年 モリサワ社にて教育現場における書体の重要性や役割を普及すべく、講演やワークショップ、執筆、取材対応など広く活動中。2023年に初の著書『奇跡のフォント 教科書が読めない子どもを知って――UDデジタル教科書体 開発物語』を時事通信社より出版。

新着記事

お問い合わせはこちら

CLIP 暮らしにリプする IT・インターネットをより楽しむためのエンターテイメント情報満載

Netflix FreaksはNetflixをとことん楽しむための情報メディア。Netflixの最新情報や厳選したおすすめ作品・レビューを紹介しています。

OPTAGE BUSINESS